タイトルはちょっと、無理なんで・・・

だらだらドルヲタしてます

ヲタクの馴れ初めなど

GWまじで何もしてないのでせめて記しておく。

ふとしたことで山中湖のライブをツイートで見かけて、

ここでライブってやってるんだ~という単純な感想と、

あそこでヲタク辞めるべきだったなぁという複雑な感情が沸いた。

2018年は大川彩菜が突然辞め、PASSPO☆の解散が発表されたと思ったら、

汐咲玲亜も辞めてしまい、ベビレの解散まで来るというすごい年だった。

いくらDDとはいえ、歳を考えてもここで辞めるべきだったような気はする。

しかし、続けてしまった。

まぁ楽しいのである。

ただあの頃と比べると同じではない。確実に流している。余生だ。

あの頃とはいつだ。

ヲタクにハマりたての頃だろうな。

次がパッセンとたくさん知り合ってヲタクの知り合いが増えた時期。

その次は、、、ないか。

てな訳でヲタクってどうやって始めたんだっけ??

みたいなのが今回のスタートである。本編に行くまでが相変わらず長い。

ここだけはずっと変わらなかったりする(成長しろ)

 

 

 

 

ヲタクを始めたのは2012年だからぼくが29歳のときだ。既におっさんである。

きっかけは最初に入った会社の同期からだ。

体育系バリバリの会社に入ったので当然馴染める訳もなかったのだけど、

ぼくとはタイプの全く違うそいつ(Yくんとしておこう)とは

なぜか気が合った。

彼が結婚して「祝電打ってくれない?」って連絡きたときに

ちょうど祝電送るサイト開いてたくらい気が合っていた。

似たような時期にその会社を辞めたぼくたちはよく会っていたが、

そのときカミングアウトされたのが

「俺、実はアイドル好きなんだよね」

だった(前の会社では隠していた)。

彼はハロヲタだったので色んな動画をぼくに見せてきたのだが、

当時アイドルをむしろ小馬鹿にしていた愚かなぼくは流し見という感じであった。

ガタイが良く、見た目もおしゃれなやつだったが

LIVE行きたいけど一人だと寂しいし一緒に行こうよ!

と誘われたのが最初だった。チケ代は向こう持ちだった。VIP待遇。

 

渋々ついていったのがBerryz工房(活休中)の汐留AX(もうない)だった。

この世界ではかなり有名なアイドルだったが

当時のぼくはももちくらいしか知らなかったし曲は一つも知らんかった。

このときはライブを楽しむというよりは、

完成されたハロヲタの動きに圧倒されて終わった感じだった。

「いや確かに可愛かったし貴重な体験だったけどもういいよ…」

が帰りにガストで話していたことだったと思う。

あれこれ長くなるな??

 

 

それでもYくんは懲りずにアイドルの話をあれこれと教えてくれたので

ぼくも行かないなりにアイドルのことはちょっと知ってきたタイミングがあり、

「次は対バンに行こうぜ!」

と誘ってきてぼくもOKした。

Yくんは一人で現場行ってパートごとに色を使い分けるヲタクになっていたが、

一緒にライブ観たいと言ってくれまたチケットも用意してくれた。

かわいい女ヲタ待遇である。

その対バンというのがあのFES IWAOである(あのって言うほどかどうかは知らない)

トリに℃-uteがいたというのが大きかったが、

Yくん的に他にも気になるアイドルが出るからというのも動機だったらしい。

それがぱすぽ☆であり、BiSだった。

そしてそれがぼくのヲタクを始めるきっかけになったのだった。

 

 

その頃はアイドルに対する偏見もなくなっていたので、

アフィリア・サーガ・イーストでんぱ組.inc、BiS、ぱすぽ☆℃-uteと続いた対バン

(今思うとなかなかのメンツである)

このイベントを楽しむようになっていたし、

「BiSの英語っぽい曲(IDOL)かっこよくない??」

となり、

ぱすぽ☆楽しい!振りコピやってみよ」

ぱすぽ☆のオレンジの子かわいい!」

となっていったのだった。

 

 

そうこうしてるウチにぼくのヲタク人格「ムスカ」が生まれたのであった。

はじめましてのアイドルにいつも聞かれる質問

「なんでムスカって名前なの??」

これについてもここで書いておく。

(ただしアイドルはこれを読むことは無い)

元々ムスカというアカウントは持っていた。

昔からあのラピュタムスカを真似たアカウントはいくつかあり、

「フォローもフォロワーも全部ムスカしかいないムスカってアカウント面白くない??」

って思いついて作ったのだった。

たぶん何かクスリでもやっていたに違いない。今でも理解できない。

まぁ当然こんな遊びはすぐ飽きる。

そんな折、上記の流れでヲタクになったとき、

「アイドルのTwitterフォローしなよ!本垢が恥ずかしかったらヲタク用の垢つくろう」

とYくんに言われたときに

「あ、全然使ってない別垢あるからそれでしようかな」

と思い出したのだった。残飯処理みたいなものである。

結果このアクの強い名前は個性の薄いぼくにとって大きな個性となり、

色んなヲタクやアイドルに知ってもらうにあたって効力を発揮したのであった。

副産物としては、ヲタク用として使っているこの名前だけど

本名を教えたアイドルがことごとく辞めてしまうというデスネームしてしまったことがある。

そろそろムスカは恥ずかしいぜと思ってももう変えれないのであった。

ヲタクがぼくのことを呼ぶ際には、

その後ヲタクとしてぼくの相棒となるちょーかんがつけた

「むったん」

が多く使われるようになり、これはぼくもすごく気に入っている。

 

 

そうしてムスカとなったぼくは(すごい文章)

Twitterを本格運用するようになり、

対バンに自費で(やっと)参加するようになり、

色んなアイドルグループを知り、

それぞれで推しを作り、

CDを聞き、DVDを見て、

同期でありヲタクの先輩となった(ややこしい)Yくんとヲタクトークする日々となった。

 

 

その中でワンマンライブ行ってみたい!となったのが、先程のぱすぽ☆とその後の対バンで知った東京女子流であった。

ぱすぽ☆は衣装こそアイドルしているが、曲はバンド風でかっこいいし、ライブは荒々しく、アイドルを見ているという感じではなかった。

女子流は歌もダンスもしっかりしていて、アイドルというよりアーティストという感じだった。

(それがこのグループを長年苦しめるのだがそれはまた別の話)

つまりアイドル初心者のぼくにも見ていてまったく恥ずかしくないアイドルがこの2グループだったのだった。

 

 

Yくんはどちらも好きになっており、特にぱすぽ☆にハマった。

なのでCDなどの物資は事欠かなかった。

全部教えてもらったし全部与えてもらったのだった。

そこで迎えたのがONE WORLDフェスだった。

 

 

ONE WORLDとは当時ぱすぽ☆が出した2枚目のアルバムであり、

これを買うと購入者限定のライブに行くことが出来るうえに、

1人同行者を連れてきてよかったのだった。すごい。

このフェスは3部あったのだが、Yくんは当然3枚買っていた。

つまり再び無銭でフェス通しである。最高。

でもまぁ特典のライブだし大した曲数やらんだろうと思っていた。知らないあなたもそう思うでしょ??

ところが、である。

どの部も10曲以上あり、アンコールにも全て応え、特筆すべきは3部ともセトリがバラバラな点である。

おまけに見送りがついてきて、各部の間隔が1時間ちょっとしかないのに衣装もちゃんと替えてきたのだった。

これはちょっと感動したし、ここはガチだ!と思ったのだった。

無銭でこんなものを見せてもらったからには何か返さないといけない。次のCDは何枚か買うぞ!

ここで立派なヲタク脳が完成されたのであった。

 

 

だらだら書いたが、ぼくがヲタクを自認したのはここだったと思う。

それくらいの衝撃がこの品川ステラボールにはあった。

いやただの購入者限定ライブで1日ステラボール借りるのすごいな。

ここでパッセンジャーぱすぽ☆のヲタクの呼称)になりきらないところがぼくのくそな点なのだが、それはまた別の話。

こんな感じでぼくはムスカになり、ヲタクになっていったのだった。

今でも細々と続けているのは、この辺りの思い出がとても良かったからだと思う。

またガチだな!って思えること、あるかなぁ。